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いきあたりばっかり。 いっつおーるらいと。
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GWで近所の自転車屋が休みなのに自転車がパンクしたわけです。

とりあえず、パンク部分に貼るシールを買ってきたものの、

チューブのはずし方がわからず、

はずし方を調べるための家のネットはつながらず、

マンションの駐輪場で途方にくれていたら、

大家さんのおっちゃんが通りがかって手伝ってくれました。

ともに戦うこと苦節1時間、みごと後輪のパンクは完治。

時間はお昼どき、

明らかに大家さんは疲れてきています。

「ほな、大丈夫やな」

「ありがとうございます。・・・前輪は自分で直しますから!

そう、パンクは前輪と後輪両方。

仏のような大家さんは、

完全に通りがかりなのに、

途中で投げ出せない優しさから、

すべてが直るまで一緒にいてくれたのでした。

昼メシ抜きです。

ごめんなさい。

ものすごいやさしいんだけど、言葉の節々にとげがあるのが京都人です。

いや、いいんです。

ホント手伝っていただいてありがとうございます。

自転車が復活したころにはもう1時半過ぎに。

「本当にありがとうございました。」

「はいはい(きもち不機嫌)」

「・・・」

(予想以上に時間がかかったことに対する疲労感と微妙な空気)

「・・・」

あ・・・・あめ食べますか?」

いらんわ

人間関係って素敵だなあ。

先月、家賃を遅れて払いに行ったことを、心から後悔する昼下がりなのでした。

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大阪人が多く、生まれつきスピーカーを埋め込まれているように、

東京人は、みんな磁石を埋め込まれているに違いない。

と、ラッシュ時の改札の人の流れに入れない私は思うのでした。

あんな速度であるいていて、どうしてみんなぶつからないかというと、

磁石同士が自然に反発するからなんです。

電車の中で、密着しているのに精神的な個人スペースを保てるのも、

現代ドラマが「抱き合ってもすれ違う僕ら」なのも、磁石のせいなのです。

磁石は主に、suicaやジョナサンのコーヒーや、ビル風の中に含まれていて、

磁力や磁波をコントロールしているのか、何を隠そう東京タワーなのです。

というようなことを考えながら歩いていたら、

綺麗なお姉さんが近づいてきて

「わあ~こんにちわあ!眼鏡かわいい~」

と馴れ馴れしく言ってくるので、

必死で頭の中の知り合い名簿を検索していたら、

「私ね、今、趣味で手相の勉強をしているんだけどね!」

と危ない方向なことを言い出した。

「今って、時間ある?まだまだ勉強中なんだけどさ。」

なんだ、ソッチ系の勧誘(初対面)ですか!

TOKYOは怖い。
東京のこっちがわ  なぎら健壱

下町系写真、路地写真って最近ブームなのかな?

三丁目、メトロ、バブルと続くレトロブームはまだ続きますな。

とか思っていたらなぎら健壱さんも下町写真集出してた。

東京のいろんな表情が楽しめる写真集。

(一枚一枚に叙情をかきたてるようなコメントもついてる)

私は芸術オンチなんで写真とは何ぞやなんて分かんないけれど、

下町写真は、「圧倒的な写真の力」で写真を見る人にインパクトを与えることよりも

見る人の中にあるものを刺激して、あとは見る人の世界の中で展開させる部分が大きいと思うから、有利なのかなあ?

有利、不利って問題じゃないけどさ。

人を撮った写真は、構図とかナントカより、人が現れてしまうから、

写真が見たいんじゃなくて人間が見たい私にとっては、

無条件に素敵だったりするんだけど、

写真が見たい人にとっては評価が悪いものもあるのかねえ。

木村伊兵衛賞とった、うめかよさんの写真集も評価われているよね。

帯の推薦文くるりの岸田さんなのがいかにもだから?

私は好きだけど。

探偵ナイトスクープやVOW見て、人間の愛おしさを覚えて泣いてしまう人にはオススメ。

まあそんな人はすこし自意識過剰ですがな。

たとえば

就職活動なんかで「人間が好きです」なんて言おうもんならコミュニケーション力を問われる質問をされる。

でも、人間が好きって言う人とか、人間の写真を上手にとる人って言うのは、

いつもどこか観察者・傍観者で、どっちかっていうとコミュニケーションの外側にいる人が多いような気がするんだけど、どうでしょう?

そして、そこに写真家の哀しさみたいなもんを感じるんです。

木村伊兵衛賞といえば、

「木村伊兵衛の眼」って言う、傑作写真選+エッセイ+伝記+…みたいな本があって、

氏にゆかりのある人が何人か寄稿してるんですが

そのエッセイがけっこうどいつもスバラスイのでした。




・・・でもカラー多い本は総じてお高いのよね。

よつばと!あづまきよひこ


謝る。

土下座とかして謝る。

あたしはあづまきよひこを侮っていたよ。

「あずまんが大王の人が、幼女マンガ描いてるのか」

こういう認識を持っている人は、絶対読んだほうがいい。

なんか愛おしくてきゅんとして笑って泣ける(泣くとこはない)

私にとっては、サザエさんよりもリアリティある普遍の日常かも。




20世紀少年の読み直しをしたあと、よつばとにハマったら、

ネカフェのお会計がにせんごひゃくえんでした(アホ)

ブクオフでかなりお買い物できそうだったな…





ぶろぐサボりがちなのは、パソコンが止められたから。

そして上映会の作品提出締め切りが迫っているから!!

なんかの栄養素が足りないのか、若さの欠如か、

徹夜で映像編集すると、自分の目が自分でコントロールできない。



うるうるした目のまま出かけた。

用事(面接)まで時間があったので、ベンチでぼおっとしていた。

夕暮れの町は、いつでもシャルウィーダンス的哀愁をかもし出す。

知らないおじいさんがやってきた。

ここだけ都会のベンチじゃないみたいだ。

おじいさんと話をした。

穏やかな一瞬だった。

ベンチは不思議な空間だ。

誰かと隣り合って話をするってことは、ベンチ以外ではあんまりないと思う。

ベンチでの会話、というと

映画「フォレストガンプ」を思い出す。

「一期一会」というコトバの読み方とその意味を知ったのがあの映画だった。

彼の人生が、例えば喫茶店の向かい合った席で息子に・・・だとか、

ベンチ以外のシチュエーションで語られたならば、

私は決してあの映画を好きにならなかっただろう、と思う。

話を戻して・・・

おじいさんの奥さんはもう死んでしまった。

話してるうちになんだか泣きそうになったけれど、それはおじいさんに失礼だと思ったので、必死に涙をこらえた。

おじいさんと別れ、ビル群に向かう。

私のいた夕暮れの町を見おろして仕事するオフィス。

面接官と私は向かい合って座り、

おだやかな面接が続いた。

最後に面接官が言った。

「一番最近泣いたのはいつですか?」

面接で、こんな質問初めてだ。

「泣いてはないのですが、ここに来る前、おじいさんに出会って…」

我慢していた涙は、出口付近で待っていたらしい。


その後、ねえさん号泣(社会不適合w)

「おじいさんがひとりなのは…おばあさんが…うえっ…うえっ…死んじゃったからなんです…」

面接官は、予期しなかっただろう事態に、冷静にあきれていらしゃった。

貴重な面接時間は、

マスカラべろべろ、涙ぼろぼろで終了。

部屋を出るとき面接官に謝ると、

「おじいさん、か。」

と苦虫を噛み潰したような顔のまま、笑ってごますのだった。



いつの間にか日は落ちて、駅の看板が明るい。

おじいさんは今晩何を食べているんだろうか?

と考えると、再び泣き出してしまいそうな風の冷たさを感じる私なのだった。

ベンチのあった辺りは、もうすでに薄暗く、

月が淡い都会においては、

煌々としたオフィスタワーの光が月光代わりなのだった。




感傷的になるのは、現実の世界を物語化しようとする私の悪い癖だ。

夕暮れとか、両極端の比較とか、良くない。

良くないね。

安っぽい三文小説みたいだ。

でも、まちが夕暮れると、

私の世界では決まって、

おじいさんの背中は小さく、

ビルの姿は無機質に立ち現れて、

存在しない夕飯のにおいまで漂ってくるような気になるのだった。

ハイ、

冷静に、おめめがクールになるような目薬を買おう。

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