ぶろぐサボりがちなのは、パソコンが止められたから。
そして上映会の作品提出締め切りが迫っているから!!
なんかの栄養素が足りないのか、若さの欠如か、
徹夜で映像編集すると、自分の目が自分でコントロールできない。
うるうるした目のまま出かけた。
用事(面接)まで時間があったので、ベンチでぼおっとしていた。
夕暮れの町は、いつでもシャルウィーダンス的哀愁をかもし出す。
知らないおじいさんがやってきた。
ここだけ都会のベンチじゃないみたいだ。
おじいさんと話をした。
穏やかな一瞬だった。
ベンチは不思議な空間だ。
誰かと隣り合って話をするってことは、ベンチ以外ではあんまりないと思う。
ベンチでの会話、というと
映画「フォレストガンプ」を思い出す。
「一期一会」というコトバの読み方とその意味を知ったのがあの映画だった。
彼の人生が、例えば喫茶店の向かい合った席で息子に・・・だとか、
ベンチ以外のシチュエーションで語られたならば、
私は決してあの映画を好きにならなかっただろう、と思う。
話を戻して・・・
おじいさんの奥さんはもう死んでしまった。
話してるうちになんだか泣きそうになったけれど、それはおじいさんに失礼だと思ったので、必死に涙をこらえた。
おじいさんと別れ、ビル群に向かう。
私のいた夕暮れの町を見おろして仕事するオフィス。
面接官と私は向かい合って座り、
おだやかな面接が続いた。
最後に面接官が言った。
「一番最近泣いたのはいつですか?」
面接で、こんな質問初めてだ。
「泣いてはないのですが、ここに来る前、おじいさんに出会って…」
我慢していた涙は、出口付近で待っていたらしい。
その後、ねえさん号泣(社会不適合w)
「おじいさんがひとりなのは…おばあさんが…うえっ…うえっ…死んじゃったからなんです…」
面接官は、予期しなかっただろう事態に、冷静にあきれていらしゃった。
貴重な面接時間は、
マスカラべろべろ、涙ぼろぼろで終了。
部屋を出るとき面接官に謝ると、
「おじいさん、か。」
と苦虫を噛み潰したような顔のまま、笑ってごますのだった。
いつの間にか日は落ちて、駅の看板が明るい。
おじいさんは今晩何を食べているんだろうか?
と考えると、再び泣き出してしまいそうな風の冷たさを感じる私なのだった。
ベンチのあった辺りは、もうすでに薄暗く、
月が淡い都会においては、
煌々としたオフィスタワーの光が月光代わりなのだった。
感傷的になるのは、現実の世界を物語化しようとする私の悪い癖だ。
夕暮れとか、両極端の比較とか、良くない。
良くないね。
安っぽい三文小説みたいだ。
でも、まちが夕暮れると、
私の世界では決まって、
おじいさんの背中は小さく、
ビルの姿は無機質に立ち現れて、
存在しない夕飯のにおいまで漂ってくるような気になるのだった。
ハイ、
冷静に、おめめがクールになるような目薬を買おう。
管理人のみ閲覧可