いきあたりばっかり。
いっつおーるらいと。
二日目は現地のツアー会社にて、メコンデルタクルーズへ。8$。
韓国人の人たちとご飯を食べたら、韓国人♂はみんな噂どおりの紳士、いたれりつくせりしてくれる。
ツアーにつくランチ以外に、オプションのご飯もおごってもらってうまー。
アメリカ人達とサイクリングしてたら、ひとりの自転車が突然崩壊する。
ありえねー。が、ありえるんですね。
ベトナムクオリティ、健在。
メコンデルタツアーで、「自然系、いいじゃん」と思った私は、別の日はマングローブを目指す。
マングローブには格安英語ツアーが出てなくて、日本語ツアー。奮発して40$。
奮発した甲斐あって、昼飯も超ゴージャス!
なにより、マングローブクルーズ、めちゃめちゃ楽しいっす。
モーターボートが、かなりのハイスピードでマングローブ林をつっきっていく。
ベトナム戦争中の、いわゆるベトコンと呼ばれた民族解放戦線ゲリラの基地などをめぐる。
映画「季節の中で」の淡いベトナム幻想はいずこへ。
これは、あれだ。
むしろ、「地獄の黙示録」だ。
コッポラコッポラ。
ゲリラ基地に刺激されて、後日、市中心部にあるベトナムの戦争記念館も訪れる。
カメラマン石川文洋。
ベトナム戦争を克明に写した、この日本人戦場カメラマンの名前はよく知っていた。
あたし、小学生の頃、彼の手記をテーマに読書感想文書いて、優秀賞かなんか取ったんだっけ。
ほんと、何が優秀賞じゃ!って感じですよ。
今以上に白々しいや。
うん、白々しいなあ。
今じゃ、・・・とてもじゃないけど書けないや。
だって、こういうものに対して、いったい私に、どうやって責任持った言葉が吐けるというのだろう。
頭の中の情報や言葉が多くなって重くなるほど、口からの言葉は出なくなってしまうね。
ベトナム戦争、1959-1975年。
わ、50年も経っていない。
記念館には欧米人のお爺さんのお客さんもいっぱいいて、募金箱には比較的高額紙幣が投げ込まれていた。
いやー、コッポラコッポラ。
ゴッドファーザー1,2は死ぬほど観てますが、「地獄の黙示録」は二度と観たいと思わないコッポラ・・・
ハエでなんかふっきれたので、二日目から「道端ご飯」を解禁する。
ジュースを頼むと、ビニール袋に氷とジュースを一緒に入れて、ストローを刺して渡してくれる。
飲みきるまで手を離せねえ・・・
夜ご飯は、ガレージに椅子とテーブルが並んでいるメシ屋で。
野菜がのったご飯と、スープと、おかずニ品で150円くらい?
割と盛りだくさん。
毎日行くと、同じ値段でもう一品おかずやら、別のスープやらつけてくれる。
サービス?最初がぼられてた?(笑)
この店で、ママを手伝っている姉妹が非常にかわゆくって、
突然歌いだしたりするもんだから、ドキドキ。
お姉さんは英語で「21(21000ドン)」とお会計を言いに来るけど、
妹は英語ができないんだろう、お姉さんに言いつけられて、恥ずかしがりながら両手で数字を作ってやってくる。
右と左が逆だったので「12?」といじわるを言ってみると、
あわてて右と左を逆にして、お姉さんにからかわれていた。
か~わ~い~い~。
毎晩この店で食べていた理由は、この姉妹の可愛さもそうだけど、
皿をバイクの行きかう道端に置いたバケツでなく、ガレージの奥のほうで洗っていたから。
(朝、お皿バケツ洗いのフォーで、若干腹痛が。)
箸たての上には、埃よけに布巾がかけてあって、「あ、こういう感覚って安心かも」と、感心していた。
日本に帰る夜、最後の晩餐を食べて、ふと店のほうを振り返る。
「ああ、短い間だったけど・・・・カムオン(ありがとう)、姉妹。」
箸たての上の布巾で、テーブルの汚れを払っていた。
さようなら、ベトナム。
【次回予告】
空港で、ソウルの大学の医学教授みたいなおっちゃんと意気投合したので、
うまい焼肉おごってもらいに行ってきます。いつかね。
韓国人の人たちとご飯を食べたら、韓国人♂はみんな噂どおりの紳士、いたれりつくせりしてくれる。
ツアーにつくランチ以外に、オプションのご飯もおごってもらってうまー。
アメリカ人達とサイクリングしてたら、ひとりの自転車が突然崩壊する。
ありえねー。が、ありえるんですね。
ベトナムクオリティ、健在。
メコンデルタツアーで、「自然系、いいじゃん」と思った私は、別の日はマングローブを目指す。
マングローブには格安英語ツアーが出てなくて、日本語ツアー。奮発して40$。
奮発した甲斐あって、昼飯も超ゴージャス!
なにより、マングローブクルーズ、めちゃめちゃ楽しいっす。
モーターボートが、かなりのハイスピードでマングローブ林をつっきっていく。
ベトナム戦争中の、いわゆるベトコンと呼ばれた民族解放戦線ゲリラの基地などをめぐる。
映画「季節の中で」の淡いベトナム幻想はいずこへ。
これは、あれだ。
むしろ、「地獄の黙示録」だ。
コッポラコッポラ。
ゲリラ基地に刺激されて、後日、市中心部にあるベトナムの戦争記念館も訪れる。
カメラマン石川文洋。
ベトナム戦争を克明に写した、この日本人戦場カメラマンの名前はよく知っていた。
あたし、小学生の頃、彼の手記をテーマに読書感想文書いて、優秀賞かなんか取ったんだっけ。
ほんと、何が優秀賞じゃ!って感じですよ。
今以上に白々しいや。
うん、白々しいなあ。
今じゃ、・・・とてもじゃないけど書けないや。
だって、こういうものに対して、いったい私に、どうやって責任持った言葉が吐けるというのだろう。
頭の中の情報や言葉が多くなって重くなるほど、口からの言葉は出なくなってしまうね。
ベトナム戦争、1959-1975年。
わ、50年も経っていない。
記念館には欧米人のお爺さんのお客さんもいっぱいいて、募金箱には比較的高額紙幣が投げ込まれていた。
いやー、コッポラコッポラ。
ゴッドファーザー1,2は死ぬほど観てますが、「地獄の黙示録」は二度と観たいと思わないコッポラ・・・
ハエでなんかふっきれたので、二日目から「道端ご飯」を解禁する。
ジュースを頼むと、ビニール袋に氷とジュースを一緒に入れて、ストローを刺して渡してくれる。
飲みきるまで手を離せねえ・・・
夜ご飯は、ガレージに椅子とテーブルが並んでいるメシ屋で。
野菜がのったご飯と、スープと、おかずニ品で150円くらい?
割と盛りだくさん。
毎日行くと、同じ値段でもう一品おかずやら、別のスープやらつけてくれる。
サービス?最初がぼられてた?(笑)
この店で、ママを手伝っている姉妹が非常にかわゆくって、
突然歌いだしたりするもんだから、ドキドキ。
お姉さんは英語で「21(21000ドン)」とお会計を言いに来るけど、
妹は英語ができないんだろう、お姉さんに言いつけられて、恥ずかしがりながら両手で数字を作ってやってくる。
右と左が逆だったので「12?」といじわるを言ってみると、
あわてて右と左を逆にして、お姉さんにからかわれていた。
か~わ~い~い~。
毎晩この店で食べていた理由は、この姉妹の可愛さもそうだけど、
皿をバイクの行きかう道端に置いたバケツでなく、ガレージの奥のほうで洗っていたから。
(朝、お皿バケツ洗いのフォーで、若干腹痛が。)
箸たての上には、埃よけに布巾がかけてあって、「あ、こういう感覚って安心かも」と、感心していた。
日本に帰る夜、最後の晩餐を食べて、ふと店のほうを振り返る。
「ああ、短い間だったけど・・・・カムオン(ありがとう)、姉妹。」
箸たての上の布巾で、テーブルの汚れを払っていた。
さようなら、ベトナム。
【次回予告】
空港で、ソウルの大学の医学教授みたいなおっちゃんと意気投合したので、
うまい焼肉おごってもらいに行ってきます。いつかね。
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