駅のホームで肉まんを喰っていたらハトに襲われた。
自分の命と残りの肉まんの命の危険を感じたので、
肉まんをほんのちょっとだけ千切り、
犬にフリスビーを取りに行かせる要領で、
線路向かいの茂みの中に投げつけた。
ハトが茂みを探っている間に、手元の肉まんを食べ終える予定だったが、
茂みからものすごい速度で戻ってきたハトは、
ハチドリのように空中で停止したまま、まだ肉まんを食べる私のほうににじりよってきた。
ハトがあんなに空中戦を駆使するのを見たのは初めてだ。
ここで負けたら女が廃るし、
ハトが図に乗って子供を襲うようになるかもしれない、と思った私は、
肉まんをがっしとつかんで、威圧に耐えた。
めんちを切ってみたが効果はなかった。
なるほど鳥目だからか。
でもお前、どう見ても太ってるやん。飢えてないやん。
ホームの安全を護るため、ひとがこんなに壮絶な仁義なき戦いをしているというのに、
女子高生に指をさされて笑われた。
うしろゆびさされ隊。
あたしはハトにとって「こいつ、倒せる」存在なのかよと。
新幹線で片道4時間のところを、9時間かけて鈍行で行く。
だんだん時間というものに麻痺してきて、
強風で電車が45分途中停車したぐらいでは全然長いと感じなくなるから、不思議。
関西←→東京間は片道12,000円。
青春18切符なら1,600円!
おかげでリッチに駅弁食べられるぜ!
そして、鈍行に乗っていると、話し相手が登場することがある。
新幹線ではありえない話だ。
今回の相手は、富士から東京まで隣に座ってきたおっちゃん。
「わたすね、桜海老の冷凍倉庫で働いているもんで。」
語り口が、とても訛っている。
もともと地方から静岡県に来た人なのかもしれない。
桜海老の特産地の県で18年間を過ごしたあたし、
初めて、桜海老の冷凍倉庫で働いている人に会ったぞ(レア!)
冷凍庫の中はマイナス30度の世界。
真夏は外部との温度差60度だって!すごいなあ。
おっちゃんいわく、
冷凍技術の発達によって、桜海老が素干し処理されなくなったことによって、
おっちゃんたちの仕事が増えて大変になったらしい。
「一年中冷凍庫の中ですよ。」
会社の製品のパンフレットまでいただいた。
「透き通った小さな体からしっとりと発光する鮮やかなピンク。
薄手の白磁にはもちろんのこと、素朴な信楽や備前の小鉢にも、漆黒の漆椀の中にあっても、
その色香は凛としてますます冴えわたる」(会社案内より)
なんかすごく美しい表現!
その後おっちゃんは、「さわやかウォーキング」の素晴らしさについて力説をはじめた。
結局、東京まで2時間、「さわやかウォーキング」トーク!
たすけてください!
・・・熱海での乗換えでさりげなく逃げようとしたがやっぱり捕まった。
おっちゃんは異様に物知りで、まったく話は尽きない。
身延線の話や、由比の漁港の話をしているうちに東京に着いた。
「さようなら」ぐらい言いたかったのに、
あれよあれよと、人が乗り込んできて、
せわしなく行きかう東京人たちのなかに、いつのまにか訛りのエビのおっちゃんは消えてしまった。
挨拶を諦めて山手線へ乗り換えようと階段を上っていると、
どこからか「がんばって」という変なアクセントの声が聞こえた。
しかし見渡せど見渡せど、そこは東京だった。
いつも以上に自己満足な記録です。
次に受ける地元ローカル局の情報を調べていた。
テレビだけじゃなくてラジオもやっている局だ。
今さらながら、ふと思い出した。
あたしは昔、ラジオっ子だった。
あの頃、テレビは一家に一台だった。
私の青春はラジオだった。
以下読み飛ばし。
まさに厨房と言うやつで、勉強するふりをしてはラジカセ(チューニングも手動でぐるぐる回す奴)からイヤホン伸ばしてこっそり(まあ親も気づいていたけど)毎晩夜更かししてたんだっけ。
毎日部活の朝練で5時半起床だったのに、2時3時まで平気で起きてたとか、今よりもバイタリティがあるような・・・
夜9時になったらNHKFMのミュージックスクエア。
大好きだったDJのたまちゃん。
一曲まるまる音楽が流れる貴重な機会を逃さないように、必死で録音(カセットで)
10時からラジアンリミテッド。
なんかやたらヤイコがでていたような記憶がある。
今じゃ恥ずかしくて聞けない番組だったのは確か。
しかしラジアンは全国区なため、ハガキが読まれることが少なく、またFAXのなかった我が家ではリクエストが出来ない。
それでローカル局のくだらないラジオに必死になってハガキ出してたんだ…
なんだったんだろうあの根性は・・・
ラジオドラマ聴いたりして、
局とかもいろいろいじりながら・・・
確かジェットストリームあたりで強烈な眠気に誘われる。
それを我慢してたどり着くオールナイトニッポン。
いちど欲求不満な主婦が生電話かけてきて
リスナーもDJもドン引きしたのはあの番組だったのかな?
ラジオの公開録音とか、スケッチブック持って行っていた痛い記憶もある!
膝下スカートと白ソックスな中学校の制服でよく行けたもんだ!
アーティストとガラス越しのスケッチブックで会話するんだよな。
山奥で行われたイベントにまで参加していたのは何故なのか。
そしてあのローカルラジオ番組の大量のキャラクターステッカーはどこへ消えたのか。
たくさんの不発弾な事柄を思い出していたら、
涙が止まらなくなった。
昔のイタい自分が、こんなにもいとおしいなんて、もうアタシも年寄りだ。
ついでに思い出した。
当時の私のR.N.(ラジオネーム)
「ちぢれ毛のアン(はぁと)」
・・・やっぱ、自分死ね!
ら、突然
生乾きのレオタードがピクルスのにおい
という言葉が頭の中にひらめいて起きた。
起きてから言葉をひらめいたのか、
夢に言葉が出てきて起きたのかはトリタマゴ理論だけども
たいそう嫌な気分だった。
汗をびっしょりかいていて、喉はからからだ(コタツで寝ればそりゃそうだ)
バタ子さんとジャムおじさんの関係が気になる。
■
あるとき、年上の温和なおじさん(57)に恋をしたバタ子(28)。
おじさんは、バタ子の勤める給食会社の出入りの配送ドライバーだった。
親子ほどの年の差。
でも、彼女の地味な見た目からもわかるように、それは「初恋」だった。
おじさんにはもちろん妻子がいた。
ふたりは逃げた。
みちならぬ恋。
さいごに、人目を避けるようにして森の中の家にたどりついた。
小さな釜でふたり、手作りパンを焼いてネット販売し、わずかなお金を稼いでいる。
山の動物にバタ子は名前をつける。
バタ子の寂しさの理由をおじさんは知っている。
おじさんはもう、子供を作れないからだ。
あるとき、ふざけてアンパンに顔を描いてみた。
バタ子はそれをひどく気に入った。
「おじさん、カレーや食パンにも描いてみようよ」
おじさんは少しつらかった。
二人で作ったパンを、バタ子はふたりの子供に見立てているのだろう。
「アンパンマン」は愛と勇気を大切にするヒーローなのだとバタ子はいう。
「愛と勇気が友達だから」とは、
不倫がばれて、友達のいる町を去らねばならなくなったとき、バタ子が言ったせりふだ。
いつまでたっても森の中に人間はふたりだけ。
顔の描かれたパンの種類だけが、いたずらに増えていく。
ここはメルヘンワールドじゃなくて、愛の流刑地だ。
■
というようなことを考えてしまう私は変態だと思う。